冥王星と魂の望み〔後編〕何をしに来たの、この世へ

JHUAPL / SwRI <Pluto By Moonlight>


スクラップ&ビルドでこの国はのし上がってきた。今度も立ち直れる。


とは、映画「シン・ゴジラ」の登場人物、赤坂補佐官(演:竹野内豊)の名言ですが、
冥王星もまさに『破壊と再生』を表す星です。


冥王星の破壊の目的は、腐敗したもの——それは個人の中にあるものも同様——を
徹底的に洗い流し、生まれ変わらせてゆくこと。と、私は思っています。
(そして、シン・ゴジラはめっちゃおもしろかったとも思っています。)
(余談です。)


個人的な体感として、
「もう今更、自分を変えるのなんて、無理だよ~」
「自分はこういう人間だから仕方がないんだよ〜」
そして、
「そんなこと言ったって、しょうがないじゃないかぁ」
といったように、えなりってると……
もとい、保身・保守的な生き方、変革への拒否による言い訳を執拗に続けていると、
冥王星の打撃を大きく喰らってしまう気がします。


もちろん冥王星はトランスサタニアン(外惑星)ですから、人智レベルで操作出来る星ではないと思います。
ですが、それでも、
「このままじゃイヤだ! 変革OK! 自分を変えるぞ!」
と思っていると波に乗れるような気がするのです。


私自身は、元々、『太陽と天王星のコンジャンクション』を持っていることもあってか、
「守りに入った生き方が嫌い。」というところがあります。
月はビビリの乙女座だし、太陽本体は不動宮の蠍座なので、方向転換の決定に『時間』はかかります。
しかし根っこの考え方としてはそんな感じですので、こういう答えに行き着くのかもしれません。


*


前編の「失職した年」の話に戻ります。
この年は、土星・冥王星のトランシットを食らっていた、ハードな年でした。
そして、このハードさを読んでいたのは、西洋占星術だけではありませんでした。
四柱推命や、気学や、0学占い(いずれも詳しくはないのですが)などなど、
とにかくあらゆる占いのランキングで最下位だったという、「大低迷期」でした。


ですが、嵐が過ぎ去って気が付けば、そこにあったのは、

「大嫌いな職場を捨てることが出来た」
「学生時代からの望みだった上京が叶った」
「それまで考えられなかった経験をさせてくれる仕事を得ることが出来た」
「世界が俄然広がった」

という、望んでいた通りの結果たちでした。
『トドメ』となった恋愛のあれこれもその後、復縁(って言い方があってるかは解らんけど)しています。
(まぁこれはいろいろこの後もごちゃごちゃあるんですが……^^;)



低迷期とは、きっと、「運が悪いとき」という意味ではない。
たぶん、「冬」なんです。
それまでの精算期。登るのではなく、留まるとき。
動きたくても、じっと押さえ込まれてエネルギーを蓄えているようなとき。
誰だって明るく暖かい春や、過ごしやすい秋が好きだけど、
もちろん、厳しい寒さの中に無防備なままでいれば、死んでしまうこともあるけれど、
冬がなければ春がこないように、冬は「悪い時間」ではないはず。


私にとって、冥王星に枯らされていたときというのは、
そんな、冬のような時間だったように思います。
そして、その木枯らしのあとには、芽吹きという再生が、ちゃんとやってきました。


*


冥王星は、魂の導き手。
頭……即ち『思考』でどんなに言い訳をしようとも、魂の部分に、
「もし叶うのであれば、こうしたい」
という、本当の望みがあれば、そちらが採用される。
そのためには、手段を選ばないというシビアさはあるけれども。



じゃあ、なにが魂の本当の望みなのか。

それを解き明かしてくれるのが、ネイタルチャート(出生図)なのだと思います。



前にも書いたけれど、私は人生の前半戦があんまり楽しくなかったです。
もちろん素敵な思い出もあるけれど、基本、精神が苦しかったです。
若いうちは煩悩が多いから、とか、理想と現実のギャップが計れていないから、とか、理由を付けようと思えばいくらでも出来るけれど、
それでもやっぱり、若者らしい無責任さや、屈託のなさと、ひと一倍縁遠かったことは、間違いないです。


でも、もしかしたら、その屈託こそが『魂の望み』だったのかもしれない。
高校時代の日記に、こんな風に書いていたのを覚えています。


——苦しみ、悲しみを知らないで、人の心に寄り添えるだろうか。

——苦しさを経験したことのない人に、苦しさを話したいと思う人がいるだろうか。

——私は誰かの苦しさを心で理解し、共に涙を流せる人になりたい。


(……原文ではなんて書いていたか解らないです。
日記を開けて探してみましたが、高校生の時の日記なんて、イタすぎて死にそうになるので、限界でした。
ですが大体こんな感じだったのは、間違いありません。)



屈託なく、楽しく若い時間を過ごすより、
苦しみでさえも己の血となり肉となり、いずれ役立つ糧だから、と、
私はそれを自ずから求めようとしていたのかもしれない。だから、


精神の偉大さは、苦悩の深さによって決まるんです。


(『風の谷のナウシカ 7巻』)


十代で出会ったこの言葉が、当たり前のように心に入ってきたんじゃないかな。
心に入るどころか、座右の銘にしていたくらい。


*


私のネイタルは、


  • 土星の力が強く出ているため、あらゆることが『遅くなる』ということが予想される。
  • 『協調性』や『責任』の意味を持つ6ハウスに星が多い=自由が苦手
  • 『楽しみ』を表す金星がクソ真面目にがんじがらめ
  • 月は、海王星とのスクエア。他人との境界が薄れ侵入を許しがち。


などなど、なかなかにマゾっ気の強いチャートです。ですが、


  • 金星は8ハウス。本来はなかなかの受けとめ上手のはず。
  • その金星は同時に、「傷と『癒し』」の星キロンとアスペクトを組んでいる。
  • 月も金星同様、キロンとトラインで結ばれている。
  • 月と海王星のスクエアによる境界の薄さは裏返せば、共感力の強さ。


……という面も。これはどれも、読み様によっては、高校生時代に思い描いた、
「誰かの苦しさを心で理解し、共に涙を流せる人になりたい」
という理想を叶えるために不可欠な要素となりうるはずです。



だからそれを、自分の土台が出来上がる、『人生の前半戦』で体感しようと決めていたんじゃないか。
土星が強いチャートである以上、前半戦を楽しくスピーディに進めることを“意図”していないのは明らかです。
そもそも、楽しみをあらわす「5ハウス」に「土星・冥王星・木星」という重みを持つ星が並んでいるのですから。


*


——何をしに来たの、この世へ。


これらは、占星術や冥王星を知る前から、度々私が抱き、繰り返し書いてきた思いです。
たぶん今後も、何度だって口にするでしょう。


——何をしに来たの、この世へ。

——ああそうだ、生きにきたのだろう。


「この世に生まれてきた理由」は、全方位から認められる幸せや、成功を手に入れるといったことの中にはない。
魂を乗せて運ぶ、この体がなければ知り得ないことを、余すところなく味わうために、
そうしてあの世に還る時、たくさんの『おみやげ』をもっていくために、


生まれる前に、“自分で”魂に刻んだ目的を果たすために、
私たちはきっと、
生まれてきた。



楽しみをあらわす「5ハウス」に「土星・冥王星・木星」という重い星が並ぶ、私のネイタルチャート。
時間をかけて努力することを学ばせる『土星』、
壊したり組み直したりしながら魂の目的に気付かせる『冥王星』、
そしてその後ろ、ハウスの出口に近い場所に、甘やかすように『木星』が待っています。
これまでのトランシットも大方、その流れでやってきました。
土星、冥王星の洗礼を受けた後に、なだめ、癒すかのように木星が通っていったのです。



「精神の偉大さは、苦悩の深さによって決まる」というナウシカの言葉に何度頷いたか知れないけれど、

人生は、それ“だけ”では、片手落ち。

もう一つ、取りこぼしている命の真実がある。



この世で体感出来るのは、苦悩だけではない。

喜びも、朗らかな温かさも、命を、体を貰ったからこそ、味わえるもの。


苦悩、懊悩の果てにそれを手に入れようと決めていたのなら、

喜びを手に入れることもまた、魂の目的であるはず。


悩み、自らを責め、間違わずに生きようとした日々は長過ぎて、

それが自分にとっての当たり前になってしまっていたとしても、


繰り返して言おう。

私は、自分の土台を作り上げる人生の前半戦で、暗く深い学びを得ようと決めていた。


後半戦で味わう、人生の、もう一つの側面を、

より鮮やかで輝くものにするために。




キャトロの星の庭

Cotorillaの別邸。占星術の話題専用ブログ。主に実体験検証。

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