「太陽」を生きる〔1〕ホロスコープの船長

自分のホロスコープについては、今まで、あれこれ思いを巡らせてきましたが、
肝心の「太陽」については、あまり興味を示さずにきていました。


たぶん、「私の太陽は、あまりおもしろくない。」と思っていたのと、
「蠍座」という星座にピンと来るものが、あまりなかったから、だと思います。


私のホロスコープの太陽、

「メジャーアスペクトが、天王星との合のみ」

という孤立状態なんです。


実際、太陽期はあんまり楽しくなかったです。
太陽期は、「ブラック企業をハシゴした後、どうにか上京」までで、幕を閉じてしまいました。
ぶっちゃけ、水星期とか金星期とかでは、結構モテてたんですけど(敢えての強調)、太陽期はさっぱりコーン☆でした。
もういっそ、アスペクトの豊富な火星期に早く入れ、って思っていました。
まあ、ある意味「情熱の赤い薔薇」に一番燃えていたのも、太陽期ですけど。


けれど、よくよく考えてみたら(いや、本当はよく考えるまでもないんだけど)、
ホロスコープで一番大切なのは、本来「太陽」なんですよね。
一般的に「あなたの星座、何?」って聞かれて答えるのが、太陽星座じゃないですか。
占星術をライトに落とし込んだ「星占い」で唯一残されたのは、太陽じゃないですか。
まあ、生まれ年関係なく、誕生日だけで大体解るから、ってのもあるでしょうけど。



最近、ツイッター上で「月星座」に関して議論がかまびすしかったですけれど、
中でもこちらの占星術師さんの、この投稿が胸に留まりまして、

「月星座は幸運の鍵ではなくお気楽なもので、月ばかりだと人生は停滞する」。
ああ、なるほどなぁ、と、妙に納得がいきました。


私は、月というのは、基本的な体質や体力、そしてエネルギー源だと理解しています。
月が傷ついていたり、穴が空いてガス漏れしたりしていると、エネルギーが湧かない。
どんなに理想を掲げても、月を蔑ろにしていては、力が発揮出来ず、叶うものも叶わない。
だから月は当然、大切にしなきゃいけない。



けれど、月はあくまで「動力炉」であって、人生の方向を決める「舵」ではない。


舵を握るのは、そう、「太陽」。


そして、それは即ち、自分のホロスコープの中の「リーダー」だという意味なのではないか、と。


それを忘れて、月ばかりに閉じこもっていては、まるで、こたつに入ってみかんを食べながら、テレビに向かって「最近の若いもんは〜」なんて言っているも同然なんじゃないか、と。




そして、太陽と向きあわなきゃ、と思ったきっかけがもう一つあります。


近いうちに、転職することになりそうなんです。
そしてそのきっかけが、またもこの「太陽と天王星の合」によって導かれた結果のようなのです。


今の職場は、上京したてで、右も左も分からない私にとって、厳しすぎず、ほどよく新しい経験もさせてくれた、いわば、「慣らし」のような場所でした。
ですが、この2年ほど、「上」が変わったことに伴って、不満が大きく蓄積しておりました。

そんな中、「普通だったら」黙って見て見ぬふりをしてやり過ごすであろうところを、
またも曲げられない魂に従うかの如く、疑問という一石を上に投じることに。
言わせて頂くなら、「投じざるを得ない状況」になったという方が適切です。


思えば、ピータン社を辞めた時もそうでした。
「普通だったら」のらりくらりと躱(かわ)すであろうものを、「言わざるを得ない状況」になぜか嵌まってしまう。
好きでやるわけではなく、なぜか立ち場がいつもそうなるんです。
この繰り返されるパターンに宿命を感じます。


今回は、その一石によって決定的な事はまだ起きていませんが、
こういった秩序の乱れや問題の噴出は経験上、「卒業のシグナル」であり、「次の場所への後押し」です。


魂をゴールに導く、その舵を取るのが太陽であるならば、
こんな風に厄介な波を選んでまで、船長は何を目指し、何を言いたがっているのだろう。


その謎が解ければ、人生の目的がもっと明快に見えるんじゃないか。


そして太陽にスポットを当てれば、いや、太陽の光を正面から受け容れれば、
こんがらがったホロスコープを統合する方法が解るのではないか。



そんなわけで、シリーズ「『太陽』を生きる」、ぼちぼち出航です。
(つづく)

キャトロの星の庭

Cotorillaの別邸。占星術の話題専用ブログ。主に実体験検証。

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