今でこそ占星術オタクみたいになってきていますが、私は元々、占いに興味があったわけではありません。
とはいえ、「そんなん、嘘っぱちだ〜」とか、「インチキだ〜」と、拒絶していたわけでもないです。
テレビで有名人が、当たる占い師に観てもらってるのを「いいなぁ~」と思うことはあったけど、
「わざわざ占いにいくのは、ちょっとイタいかも」
と思っていた、まあ偏差値50くらいの占い興味レベルでした。
雑誌やテレビで見る占星術も、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」くらいに思っていました。
だって、蠍座の特徴が全く当てはまらないのだもの。
「蠍座のあなたは、赤とか黒とか、ダークなものが好きです」
「ミステリー小説が好きです」
「スカルモチーフが好きです」
いやいや、どれも好きじゃないし!
若草色とかピンクとかの方が普通に好きだし。
愛読書は「赤毛のアン」シリーズとか、梨木香歩とかだし、って。
*
さて、そんな風に思っていた私が、初めてお金を払って占いに行ったのは、
「初の一人暮らし+某暗黒旅行会社のブラック残業というコンボによって、鬱になりかけた時」
でした。
その状況を抜け出す、よすがとなるものが何かほしかったのです。
が、あいにく、このとき出会ったのは、バリバリのインチキ占いでした。
川岸に泊めた舟の上で占っているおばあさんでした(※ 広島には川が多い)。
が、仕事について聞きにいったのに、
- 部屋に入るや否や、「恋愛は、相手の生年月日が要りますよ」と言われ、
- 「そうね、学校の先生、向いてると思います、よ」と、鑑定じゃなくて感想だよねそれ、という雑なことを言われ、
- 挙げ句「○○の霊が憑いてるから除霊した方がいいですね。三万円です。」と脅されました。(心当たりがない)
自称「見える人」なんだったら、なぜ、最初に「恋愛には相性がどうのこうの」と言い始めたのか。
あとで知りましたが、誰にでもすぐ「霊がついてますよ」と言っていたんだそうです。
被害総額が鑑定料の3,000円で済んでよかったです。
そして、当時の私に言いたい。
「そんだけ病んでたなら、まず、カウンセリングルームに行け。」と。
カウンセリングだと、いかにも病気前提な気がして、二の足を踏んでしまったんですね。
よく、自転車こぎながら、涙目でカウンセリングルームの看板見上げてたのを思い出します。
カウンセラーだからって皆がみんな、ベストマッチな答えを返してくれるわけでもないし、相性も絶対にあるけれど、
でもカウンセリングは鬱じゃなくても、病気になってなくても行っていいし、
仮に病気になってしまったとしても、それは恥ずかしいことでも、悪いことでもないんだよ。
ホントにねえ、当時の私に言ってあげたいよ、それを。
*
舟の上の占い師は、こうして残念な結果に終わりました。
しかし、このときの私はもう、占い(とBUMP)にすがるしかなくなっていた病みかけの状態。
船上占い師のおかげでうかつにお金を払うもんか、という警戒心は強まっていたけれど、
その代わりにネットでの無料占いや、カウンセリングジプシーになっていたように思います。
そんな中、「西洋占星術」に出会いました。
このとき出会ったのは、たぶん、書店等で見たこともある方が多いと思う、石井ゆかりさんの「筋トレ」というサイトでした。
筋トレは「ライトな12星座占いプラスアルファ」といった感じで、入門編として程よかったのでしょう。
また、石井さん自体が、スピリチュアル的ではなく、現実から離れていない感じだったし、
それでいて占星術に関する用語はバンバン出てきますから、ある意味で入りやすかったのです。
そうして「筋トレ」に出てくる解らない用語を検索で調べたりしているうちに、
鑑定をしてもらったり、講座を受けたりしたわけではないけれど、
西洋占星術の基礎や仕組みは、そこそこ覚えていったという感じです。
*
その後、飲み屋の店長が趣味で手相を見てるとか、友人の友人が手相占いをしているとか、
そのように遊びで見てもらうことはありましたが、「本格的に」自分から占いに行ったのは、
「労働者戦争が開戦間近で、退職しようか迷いに迷っていた時」
でした。(こんなんばっかです。)
といっても、偶然、ショッピングモールに東京からの出張占いが来ていて、その時、電話口の向こうの友だちに、
「今、目の前に占い師来てるけど、見てもらった方がいい?」
と冗談まじりに聞いたら、
「ネタになるから、行ってこい」
と冗談まじりに返されたので、冗談まじりにブースを覗いてみた、という、そんなテンションでした。
ブースにいらっしゃったのは、感じのいい、初老のおばちゃんでした。
使っていたのは主に、四柱推命だったようでした。
「優しい星を持って生まれてる」
「人に教えるのがうまいわね」
「人を癒すのも上手」
「絵を描くのが好きじゃない?」
「今後のこと? うん、大丈夫大丈夫、心配要らない」
「あなたはね、好きなことをやった方がいいですね」
「あなたは面白い人生だから、どんな風になったか、いつかまた会ってみたい」
覚えてるのはこんな感じです。
他にもなんか言われたけど、覚えてないなぁ。
電話口の友人に報告したら「すごい当たってるわ~」と言ってくれたことは覚えております。
このおばちゃん、名前がわからないんですよね。東京から来てるとだけ言われたんだけど。
帰りに、「がんばれ、がんばれ!」と、拳を作って応援してくれました。
余談ですが、飲み屋の店長の手相占いは全然当たってませんでした。
この、サラリーマン不適合の私に、
「あなたは現実主義だから、事務とか一般的な仕事の方がいい。」
とかのたまってましたからね。まぁタダだったから別にいいんですけど。
*
このおばちゃんのおかげで、占いへの疑心がちょっと消えたのかもしれません。
占われることに興味を持ち出した私は、その後、有名どころに二人、見てもらいました。
有名どころ一人目に出会ったのは、労働者戦争で仕事を辞めて、上京を決めたとき。
が、この「●●●の母」は、当たってなくもないが、特に身になることを言ってくれるわけでもなく……と、ビミョウでした。
電話口ではとても優しそうだったのに、実際に会ったらすんごい上から目線だったのはなぜだったんだろう。
私、なめられそうな顔でもしてたんでしょうか。
この人に観てもらって唯一良かったのは、
「北東が凶方位? どうせ気学でしょ? あんなん、その辺に売ってるような本に書いてあるようなもの。上京しても問題ないです。え? 死なない死なない。あたしはキモントンコウを使ってますからね」
と、やっぱりすごい上から目線ではありましたが、その年、凶方位と言われていた東京に出る不安を「ノープロブレム」と一蹴してくれたことですね。
二人目は、上京後。
テレビで手相芸人やってる人の“師匠”の、「原宿の母」です。
原宿の母は、小柄で気さくで、でも、思ってたより落ち着いたテンションの感じのいいおばちゃんでした。値段も良心的だった。
数秘術とか、占星術とか、四柱推命とかいろいろ使ってましたが、一番印象的だったのは、巨大なタロットでした。
(トートタロットという、特殊なものだったらしい。)
これが笑えるほど、大当たりでした。どの辺りが、というのは内緒の方向で。
ショッピングモールのおばちゃん同様、
「あなた、実はやりたいことがあるんじゃない!? 好きなことあるの? それ、やった方がいい! 線が出てるよ!」
とも言ってました。
そして帰り際に、
「美人なんだから! 明るく! いい波動を出して!」
と励ましてくれたので、いい人だなあああ~と思いました。(褒められるとすぐこう……)
*
原宿の母も、ショッピングモールのおばちゃんも、よい占い師でした。
(●●●の母も、別に悪くはなかったんだが、相性があかんかったのかも)
ですが、ショッピングモールのおばちゃんと、●●●の母の言うように、
「東京に出てきても、なんの心配のなかった」私は、
その頃には、占いで未来がどうなるかを超えて、
「占星術の仕組みそのもの」に興味が大分、移行していました。
「自分のホロスコープをガツン!と読み解いてくれる方に会ってみたいなぁ~」
そう思い始めた私は、いろんなブログをはしごしているうちに、ついに、
「町医者のように、市井の人をお助けしている、『熟練の星読み師』」
にたどり着くことになるのです。
(つづく)
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