シンクロニシティ〔前編〕山羊座の金星が呼んでいる

高校2年の頃、友人にすすめられて、「封神演義」(作:藤崎竜 / 少年ジャンプ連載)という漫画にはまりました。
ちゃんと少年漫画を読んだのは、それが初めてでした。それまでは少女漫画しか読んだことがなかったのです。


中国怪奇小説をもとにした……と銘打ってあったはずの作品でしたが、作者が「奇人ジェントルマン」だったため、
(※ フジリューは変人だけど、読者への対応はジェントルマンだったと思う)
終盤に向かうにつれ、『ほぼスターウォーズ状態』だったり、
作者がはまってたらしい『心理学用語』が飛び交うようになったりしていて、実に変な漫画でした。


「老賢人」(老賢者)だの、「ペルソナ」だのはまだしも(まだしも?)、
「元型」と書いてわざわざ「アーキタイプ」とルビが振ってあったり、
最終章のサブタイトルが「グレートマザー」だったり。


ですが、主人公が、犠牲的精神を持った心優しいじいさん……じゃなくて青年なのに、
そんな優しさをおちゃらけで隠しながら、頭脳戦で危機を乗り越えていく……というドンピシャ好みな展開で、
私はこの漫画がとても好きでした。(女媧編に入るまでは……。)


*


さて、そんな私が通っていた高校は、「青春? ふざけんな、とりあえず勉強してろ」みたいなスパルタ高校で、
それに加えて、私の元来の『人付き合いが苦手』という性質は、高校生活をさらに、しんどいものにしました。


3年生にもなると、毎週が休み返上で模試漬け。
受験生だからアタリマエ、とこなせる人もいたでしょうが、
私にとっては「自分の時間が無い」ということは冗談抜きで命取り。
よって当時は、半ノイローゼ状態でした。(普通の公立高校だったんですけどね)


そんな模試の中で、数学や理科ほどではないにしても、私を悩ませていたのが、現代文の「論説」の問題でした。
どれもが、大したことのない話を小難しく書き換えているようにしか思えず、
書き手の自己陶酔に巻き込まれているような気分で取り組む論説問題には、いつもいつもうんざりさせられていました。


ですが、そんな中、ただひとりだけ、『うんざりの雲』を晴らせてくれる方がいました。
心理学界の権威、「河合隼雄」さんです。
大問の引用元に、河合隼雄さんの名前があると、問題に取り組む意欲がもりもりと復活したのを今でも覚えています。


河合隼雄さんの文章は、不要な難解さで塗り固められておらず、人の心に浸透しやすく、優しい(易しいよりこっちが相応しい気がする)言葉でありながら、真理をこぼすことなく紡いでおられて、私はすっかり大好きになっていたのでした。


*


それから2年くらい経った頃。
模試漬けの日々の苦労実らず、第二志望の地元大学に通っていた私は、スパルタ高校の目と鼻の先にある本屋でアルバイトをしていました。


そんなある日のバイト帰り、その本屋の店頭の平台で展開されていた「新潮文庫百選」の中の、ある一冊の本が、私の目に留まりました。

柔らかい緑色がふんだんに使われた表紙にはっきりと、白い明朝体で、
「裏庭」
と書かれたその本は、その物語の展開さながらに、深い『庭』の中へ私を手招きしているように見えました。


それが私と、「梨木香歩」さんの世界との出会いでした。


「裏庭」は、あとにも先にも、胸に行き交う様々な感情を体験させてくれた、人生で最も重要な本のうちの一冊となりました。
あんなに泣いた本は初めてだった。


「裏庭」につづいて、「西の魔女が死んだ」、「からくりからくさ」……と、次々読み進めるうちに、私はすっかり梨木香歩さんに夢中になり、その頃出版されていた「春になったら苺を摘みに」までの一連の著作は、読み尽くしてしまうのが惜しくて、次第に一冊ずつゆっくりと読むようになったくらいでした。


*


大学時代から、その後、20代の半ばにかけては、自分を構成する様々な『道具』を決めていった時間だったように思います。
化粧品や、シャンプーなどの、日用品もその一つでした。


ふとしたきっかけ(それはただ、何かの記事を見たとか、そういう偶然)で、
我々が何気なく使っている日用品に、「動物実験」が行われていること……
それがいかに惨く、残酷なものかということ……
日本はその倫理的な配慮が欧米諸国に大きく遅れを取っていること……
そして、選ぼうと思えば、海外産の、地球に寄り添った製品を選ぶことが出来ること……
そうしたことを知りました。


社会を変えることは出来なくても、せめて、その惨さに加担しまいと決めた私は、CMや安さに踊らされず、自分の感覚で、自分が使うものを選ぼうと決めました。


その中で、「WELEDA(ヴェレダ)」という、スイスのブランドに出会いました。
ドイツの哲学者「ルドルフ・シュタイナー」の人智学に基づいて設立された、純オーガニックブランドです。
今も社のオイルやハンドクリーム等を愛用しています。


*


留学や大学院生活を経て、人より大分遅れて、私は25歳で就職をしました。
「西洋占星術」に出会ったのは、この頃でした。
全く適性のない業界(旅行業界の営業)に就職をしてしまい、心がぼろぼろに疲れ果てた私は、自分の未来がどうなるのか不安でたまらず、すがるようにして、星の世界に出会いました。


「弱っているときに占いを知る」という危険なパターンだと思われそうですが、人間、見えない世界に出会うのは、往々にして、何かに苦しみ、救いを求めるとき。
そして、幸い私は悪徳占いや悪徳宗教ではなく、茫漠とした世界に、不安だらけでこぎだす舟乗りに与えられた羅針盤のようなものに出会えたのだ、と思っています。


初めてプロの占星術師さんに、自分のホロスコープを読み解いてもらったのは、その就職先から逃げ出してから、何年も経ってからのことですが、
目の前に広がる星の地図に、「私」が全部、書いてあった驚きと感動が、今も私を星の世界に繋ぎとめています。


初めての鑑定で読んでもらったことをメモしたノートには、このように書かれています。


<月とキロンのトライン>

普通の人が出来ることが出来なくて、普通の人に出来ないことが出来る。
即ち、スペックが特殊。動物や子どもに『同化』もする。


<分身(※ 統治星)=水星>

この水星は、火星と60度をとっている。
水星は『思春期の子ども』も表すから、大人が子どもに宛てるメッセージのような作風になる。
最も適性があるのは、『文筆活動』である。


そして、


<金星の度数=山羊座15度>

山羊座15度のシンボルは、『病室の子ども病棟にあるたくさんのおもちゃ』。
このシンボルが関係するものは、不登校の子ども、フリースクール、
そして、シュタイナー教育など。


……と。


(つづく)

キャトロの星の庭

Cotorillaの別邸。占星術の話題専用ブログ。主に実体験検証。

0コメント

  • 1000 / 1000